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進む再生医療 名古屋大学大学院医学系研究教授 上田実

  • ips細胞と国家戦略
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  • 幹細胞を探せ!
  • 再生医療の突破口
  • 再生医療は永遠の未来医療か

ヒト人工多能性幹細胞(以下,iPS細胞)の樹立は再生医療の分野で久しぶりのクリーンヒットとなった。京都大学再生医学研究所の山中伸弥教授らが,さまざまな組織・器官に育つ能力を持った特殊な細胞を4種類の遺伝子を組み込むことでヒトの皮膚細胞から多能性細胞をつくることに成功したのだ。人間の体は受精卵に始まる。育つにつれて個々の細胞は皮膚や神経といった特定の細胞に分化してしまい後戻りできない。iPS細胞では受精卵に近い状態まで,細胞の時計を逆戻りさせたのだ。この技術を使えば,脊髄損傷の患者の皮膚からiPS細胞をつくり,神経細胞に分化させ脊髄損傷部に注入すれば,失われた機能を回復できるかもしれない。

ES細胞の倫理問題を回避
これまで再生医療に使われる多能性細胞といえば,胚性幹細胞(ES細胞)が注目されてきた。ES細胞もさまざまな細胞に分化する能力を持ち,国際的に熾烈な研究競争が行われてきた。しかし,赤ちゃんに育つ能力を備えた受精卵を壊さなければつくれない。この倫理問題を指摘する声が強く,研究利用ですら厳しい審査が前提になっている。今回のiPS細胞の意義の1つは,ヒトの受精卵を使わなくて済み,倫理問題を回避できたことだ。遺伝子組み込みのために発がんウイルスを使用することなど,安全性に懸念を示す向きもある。しかし,これらはあくまでテクニカルな問題であり,いずれ克服され,再生医療の実現に大きな一歩を踏み出すだろう。今回の大発見に対しては文部科学省も異例の早さで対応した。渡海文部大臣じきじきに指揮に当たり,iPS細胞の研究のために5年で70億円の予算を付けた。厚生労働省や経済産業省でも同様の動きがあり,勢いを失いかけたかに見えた再生医療にとってはまさに起死回生の一打である。マスコミの入れ込みようも半端ではない。山中教授が「セル」電子版に投稿を果たした翌日1月22日の3大紙の1面はiPS細胞のニュースがトップを飾った。科学関係のニュースとしてかつてない破格の扱いである。国全体が熱病にかかったような狂騒状態のなかで,私は10年前のゲノムプロジェクトを思い出した。日本は1990年代にいち早くゲノム解読の重要性を提唱しながら,最終的に米国に主導権を取られた。iPS細胞や再生医療でも同じことが繰り返されないか心配だ。米国の科学世界における戦略性は軍事のそれに匹敵する。動物実験から臨床応用に至るまでの系統的な基盤特許の取得,臨床に役立つとなればあっさりと研究方向を切り替える潔さ,素早い産業界との連携,彼らは最終ゴールが勝敗を決めることをよく知っているのだ。

日本に戦略性の欠陥
私の懸念は現実になりつつあるようだ。iPS細胞は,受精卵と同等の多能性を持ちながら倫理問題と拒絶反応を同時に解決した画期的発明である。しかし,iPS細胞を現実の医療に結び付けるまでの分化誘導,増殖,移植などのプロセス特許のすべてが,米国に押さえられてしまっていたとしたらどうだろう。たとえ優れた幹細胞の開発に成功したとしても,米国の特許を使わない限りiPS細胞の臨床応用ができないことになる。こうしたプロセス特許は,ES細胞研究の過程で蓄積されたものである。米国は共和党政権になって,表向きヒト受精卵を使ったES細胞の研究は禁止され連邦予算は支給されていない。しかし,それをはるかに超える民間資金がこの分野に注入され,悠々とES研究は続けられていたのである。その結果,ES細胞から臨床応用に至るまでのほとんどの特許は米国に押さえられたといわれる。一方,日本ではヒト受精卵を使ったES細胞研究は厳しい規制にさらされ,事実上研究は凍結されたに等しかった。米国は宗教右派の追及が厳しいES細胞を捨て,晴れてiPS細胞を手にした。これで,水源から河口までのすべてのルートを確保したことになり,一気に再生医療の実用化に進むだろう。iPS細胞の成功ははからずも,日本の先端科学の戦略性の欠陥を浮き彫りにしたといえるのである。



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