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歯科医療の隙間と周辺 山形大学名誉教授 吉沢信夫

  • 口腔と全身をどう捉えるか
  • 歯科医療の拡大と他領域とのあつれき
  • チーム医療と条理
  • インプラントと顎(歯槽)堤形成術(その1)
  • インプラントと顎(歯槽)堤形成術(その2)
  • 歯科理工学と医工学
  • モニタリングと看護
  • 障害者歯科からの問題提起
  • 歯科麻酔と救命救急
  • 医療におけるコミュニケーション
  • 臨床研修必修化で拡大した医歯間格差
  • わが国の医療と歯科医師過剰論

歯を含む口腔は,まぎれもなく歯科医療の対象であり範囲である。しかし,歯科医療の対象や範囲が「歯と口腔」に限定されるものかというと,現代では困惑を覚える向きも少なくないのではなかろうか。本シリーズでは,筆者が歩んできた臨床の現場から,旧来の歯科医療を俯瞰したときに気がかりであった「周辺」と,歯科のなかでそれぞれの専門に分けた際に生まれた「隙間」について述べていく予定である。

口腔は口腔に止まらない
口腔を診療するうえで,全身との関連性を無視できないことは,もはや言うまでもない。特に,口腔は神経学的に閾値の低い最も鋭敏な領域であるため,治療を行うことは即刺激さらには侵襲となる。例えば神経,循環,呼吸器系などを通じて多様な反射や反応を引き起こすことは,既に多くの実験ならびに臨床研究で解明されてきた。口腔は三叉神経,顔面神経,舌咽神経のほかに迷走神経という副交感神経系の支配下にあり,感覚的に鋭敏なだけでなく自律神経線維の分布も稠密である。また,口腔の代表的な機能として唾液分泌,嚥下,嘔吐,顎反射が挙げられるほか,循環器系をtarget organとする迷走―迷走反射が歯科口腔外科領域において重要視されている。昭和30~40年代には,耳鼻科領域の口蓋扁桃摘出術で局所浸潤麻酔を実施中に,患者が急変して死に至るという事例が某有名大学病院においても年間4~5例は発生していた。このような時代背景から,口腔咽頭領域のReilly現象に関連する基礎的研究が多数行われた歴史がある。さらに,歯科でも死亡例を含む偶発症が発生するということが巷間の話題となったことから,いわゆる脳貧血やショックの研究も盛んに行われた。

脳貧血の背景に心拍停止
筆者は大学卒業後,附属の総合病院で研修を受けた。その頃,いわゆる脳貧血を必発するという理由で紹介された患者の抜歯を行うため,浸潤麻酔をしていたところ,患者が不快症状を発現し,麻酔を中断せざるをえない事態が生じた。これらの症例から,術中に心室性期外収縮の頻発(二段脈,三段脈)や,心拍停止といった予想外の病態が背景として隠されていることを経験した(歯科学報66巻1350-1359,1966,同72巻1162-1170,1972)。さらに,このような症例を治療するうえで必要とされる各種の生化学的,生理学的臨床検査の技法とその意義について学んだ。特に術中監視(モニタリング)の必要性に着目し,心電図などから捕捉されるリアルタイムの所見が,循環動態と自律神経機能の動態を把握するうえで重要,かつ有効であることを痛感した。局所麻酔を多用する歯科医療においては,術中監視は今後ますます高く評価されるべきであるが,一般の理解が得にくいことから,診療報酬に反映されないのは残念なことである。しかし,これまで歯科医療の外側にあると考えられがちであった臨床検査などの領域が,歯科医療を安心かつ安全に遂行するうえで極めて重要であるとの認識から,さらなる重点対策を卒前教育および卒後の研修に加えられることを期待している。

静脈注射,死亡診断書,歯科麻酔など
現代の歯科医療ではありふれた手技である「静脈注射」も,かつては医師法違反に問われる事件となった(日本歯科医師会報,1939年第20号)。また,明治時代から行われてきた「死亡診断書」の作成については,連合軍総司令部が1948年に制定した歯科医師法において禁じられていた時期もある(昭和28年8月,禁止条項19条の3を削除)。全身麻酔を最初に開発したのは歯科医師である。しかし現在の日本では,麻酔医の不足が指摘されている一方で,歯科麻酔の専門医でさえも対象は歯科疾患に限定されている。両者の麻酔の間に本質的な差異のないことは疑う余地がないにもかかわらず,である。そのほか,救命救急,摂食嚥下・言語訓練,介護福祉など,歯科医療の周辺には歯科医師がさらなる努力と研鑽を積んで取り組むべき領域が少なくない。歯科医療の対象や範囲をみずから狭めている側が,「歯科医師過剰」と切って捨てているのはいかがなものであろうか。



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