定期購読者専用ページ
ログインID(メールアドレス)
パスワード
パスワードをお忘れの方

歯科医療の隙間と周辺 山形大学名誉教授 吉沢信夫

  • 口腔と全身をどう捉えるか
  • 歯科医療の拡大と他領域とのあつれき
  • チーム医療と条理
  • インプラントと顎(歯槽)堤形成術(その1)
  • インプラントと顎(歯槽)堤形成術(その2)
  • 歯科理工学と医工学
  • モニタリングと看護
  • 障害者歯科からの問題提起
  • 歯科麻酔と救命救急
  • 医療におけるコミュニケーション
  • 臨床研修必修化で拡大した医歯間格差
  • わが国の医療と歯科医師過剰論

医療行為は多くの場合,本質的に傷害と同様である。手術はもちろん,検査や処置,服薬においてさえ,かなり危険な侵襲を与える行為であることは言うまでもない。それにもかかわらず医療従事者に関しては医師法,歯科医師法,薬剤師法などにより,それら一般の禁止事項が免責される。すなわち,国家試験の合格に伴ってそれぞれに交付される「免許」とは,上述の禁止事項の解除である。

「歯科医療法」は存在しない
近年,医療は高度化し,複雑になった。医学・医療分野だけではもはや対応が不十分となることも多く,そのほかの自然,人文,社会科学領域との関係を重要視せざるをえないほど相互に流動化している。しかし多くの領域が専門分化する傾向にある一方で,医療に関して言えば,医療法は存在しても,「歯科医療法」は存在しない。つまり医療の世界は一元的なのである。したがって歯科領域が進歩発展することにより,その周辺領域との間に重複やあつれきが生ずるのは当然のなりゆきであろう。ちなみに,医療のなかで診療科間にあつれきが生ずるのは歯科の周辺だけではない。医科のなかの各診療科間,さらに歯科のなかでも口腔外科を挟んで各診療科間のせめぎあいが見られるが,今回は割愛する。歯科医療の範囲については今まで多くの文献があるが,1982年6月に当時の日本歯科医師会山崎数男会長の諮問を受けた榊原悠紀田郎教授(歯科医療構造検討委員会委員長)らの答申書は,今日でもなお重要な意義を示している。その答申書(1983年2月23日)によると,医業と歯科医業の境界は人為的に画然と仕切られるものではなく,歯科医学および医学の進歩充実の度合により定まるものである,としている。さらに,1949年1月に厚生省医務局長から出された通知では,"所謂口腔外科に属する行為は歯科医療行為であると同時に医行為である"としているが,その境界にはかなりの重なり合いのあることが述べられている。

医歯二元論の新解釈
したがって医学,歯学という二元論はもはや教育,研究のための便宜的な制度にすぎないのではなかろうか。わが国の口腔外科はかなり以前から「歯科外科」の水準を超え,現在では名実ともに「顎顔面口腔外科」となっている。また,従来の補綴と口腔外科の領域が融合し,「インプラント歯科」が展開されているが,このような傾向はすでに旧来型の保存,口腔外科,補綴といった枠組みの行き詰まりを示すものと言えよう。さらに高齢化社会が進展し,疾病構造が変化したことで,医療のみならず保健,介護,福祉を含めた社会システム全体の変革が否応なく求められている。歯科医師の臨床研修制度は,医師に遅れること2年で平成18年度から開始された。その一方で,卒前教育のカリキュラムの多くは小幅な修正に止まっている。歯科医療に導入すべき多くの知見が,さまざまな分野で研究開発されているにもかかわらず,それらが卒前教育に十分取り込まれているか,かなり疑問である。

取り残された嚥下
一例を挙げると,歯科医学の資源のほとんどは,咬合,咀嚼(カミカミ,モグモグ)に関する教育や研究に費やされてきた。しかし,咬合や咀嚼に引き続く嚥下(ゴックン)については,臨床はおろか基礎の部門でさえもあまり踏み込んでいない。近年,リハビリや理学療法において注目されている「摂食嚥下」は,コメディカルの活躍が著しい。その一方,歯科関係者はおしなべて消極的な姿勢を見せている。摂食行動とは咀嚼だけで完結するものではなく,嚥下することではじめて消化に進む。残念ながら,歯科関係者はこの一連の流れを途中で忘れているのではないだろうか。障害者歯科に受診している患者のなかには,この摂食嚥下機能に障害を有する症例が多く,新生児以外にも,脳卒中後の高齢者においてその増加が認められている。医療が進歩したおかげで,新生児や高齢者の死亡率は減少傾向にある。その一方で,脳卒中後に摂食嚥下障害を併発する患者は20%を超えると言われており,このことが高齢者において誤嚥性肺炎を増加させる原因となっている。誤嚥性肺炎を減らすために摂食嚥下障害の診療にかかわるのであれば,保存,口腔外科,補綴といった枠組みのなかでは到底対応しきれない。新たなシステム構築のために,卒前教育を含めた大幅な歯科界の改革が不可欠と言えよう。それなくしては「食育」への貢献も悲観的となる。



このページの先頭へ戻る